なぜうまく行く事しか考えてないのか

我々の業界だと

コンティンジェンシープランというのがありますね。

コンティンジェンシープランとは、予期せぬ事態や緊急事態に対応するための計画であり、組織が迅速に対応し、業務を継続するための具体的な手順や方法を示します。

ミッションインポッシブルでいうところの、プランBに変更

ランデブーポイントαに300秒後にヘリが迎えに来る、というやつ。

いわゆるコンチプランの話をする時

私は若者達には

世界線の概念の話をします。

シュタインズゲートのあれです。

科学フィクションにおける世界線
世界線は、時間軸上のある点から始まり、異なる選択や出来事によって分岐する一連の出来事の連なりを指します。つまり、異なる選択や出来事が異なる世界線を生み出し、それぞれがパラレルワールド(並行世界)として存在すると考えられます。

あの世界線の概念は

まさしくコンチプランを考える時に求められるもので

どこをどうしたら、どこに作用して

誰がどうなる

を、どれだけ想像できるか

すなわち

SEの業界であれば

この構成変更は

どこに跳ねて、何に影響する可能性があるかを

どれだけ想像できるか。

これが出来ないと

考慮漏れ

となる訳です。

何事も100%も0%もあり得ないわけですが

(無責任に100%とかいう人を私は信用しない)

STEP1

どれだけの世界線を想像できて

STEP2

その発生確率を仮定し

STEP3

その影響を仮定したときに

STEP4

そのリスクは許容できるものか

そもそも計画をしなければならない、と私は思うのです。

ところが

たいした根拠も無く

なぜか計画が上手くいく前提になっていて

想定外が起きて騒いでいる人が、多いものです。

結果間違っていたとしても

計画は

定性的、定量的な根拠をもって立てる。

定性的とは、データや情報が数値で表現されないものを指します。主に観察やインタビューなどを通じて得られる感覚的、直感的、記述的なデータが含まれます。

定量的とは、データや情報が数値で表現されるものを指します。主に統計や数値的な測定に基づいたデータが含まれます。

そしてできるだけ多くの世界線を想像し

それはやるべきことかを思案する。

として欲しいと、私は思う訳だけど

よく考えずにとりあえずやって

揉め事だけ起こして

大量のリソースを消耗させておきながら

なんとも思ってない人達が多いものです。

下手な鉄砲も数打ちゃ当たる、を何かポジティブに発言する人いますが

私はそれは嫌いですね。もうちょっと狙って撃つべきです。

よく狙って撃たないやつの都合の良い理屈ですよ。

その無駄に消費されたリソースは、どこかの誰かに迷惑をかけているものなので

自分の金でやっているのでないのだったら、必中の計画でやるべきです。

少なくとも事前の計画段階ぐらいでは。

正直、こういう自分さえ良ければいいと

よく考えないで突撃する人たちとは付き合いきれないと思ってますね。

なので私は年々人間が嫌いになっていくのかもしれない。。。

その点、プログラムはいい。

プログラムは実直で、誠実で、勤勉ですから。

人間はねぇ

怠惰ですねぇ。

実に怠惰だ。

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